なんかもう柳沢劇場ってかんじ

またも厚労相…「労働時間だけが売り物」答弁、撤回へ(2月19日/読売新聞)

 柳沢厚生労働相は19日の衆院予算委員会で、工場労働を「労働時間だけが売り物」とした15日の参院厚生労働委員会での答弁を撤回し、議事録の削除を求める考えを示した。

 厚労相は事務職の一部の残業代をゼロにする「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション」制度の意義を説明する際、「工場労働というか、ベルトコンベヤーの仕事、『もう労働時間だけが売り物です』というような、そういうところでなく働いている方々の現実に着目した労働法制を作ることが課題だ」と発言した。

 これに対し、川内博史氏(民主)が19日の予算委で、「現場で働く人に失礼だ」と撤回を求めた。

 厚労相も「全体を見れば誤解が生じるとは思わないが、『だけ』という言葉はある人々を傷つけるという指摘なので(削除が)可能かどうか相談したい」と応じた。

削除のいう名の隠滅は行わず、ぜひ永久保存して欲しいもんだ。と思った。


全体を見ていないのでなんともコメントすべきではないんだろうが。
WEの説明の中で語っていたことらしいので。

「労働時間=成果とみなせるような労働形態ではなく」

てなかんじの表現が適切であっただろうと思われる。


しかしまあ、受け取り方次第では侮蔑的なニュアンスを感じてしまいかねない言い方を、息を吸って吐くように自然になさってしまう方のようで。
お笑いだったらボケ担当が適任ですかね。


だが、この発言に「失礼さ」を強く感じる人ほど、職業に貴賎があるという観念を強くお持ちなんだろうな。
と感じた。


と、ここまで書いてふと思いつき、福沢諭吉の「学問のすすめ」をググって見たのですが。
こういう職業の貴賎観念は、諭吉の影響かもなー。ていうか、弊害?
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」と言ってるそばから職業に貴賎アリ、と言っておられる。
学問のすすめ的」には、工場労働みたいな時間=成果な仕事は「貧人」「下人」の労働、そういう労働に従事している人は「学問に勤めなかった人」=愚者、とみなされているもよう。


ただ、当時の社会情勢・教育環境と現在の社会情勢・教育環境、あまりにも違うだろうしなー。


まあ、暇ができたら、そのうち「学問のすすめ」でもじっくり読みつつ、明治の頃の“格差”と現在の“格差”の違いなどを探ってみたいとこです。


余談はさておき。
何より楽しみなのは、このブーメランは民主党の誰に当たるんだろうということ。
似たような発言をしたミンスさんが、誰かしら出てきそう。