考えていたのはこんなこと。

どうぞ遠慮なく、浅慮というコメントをつけてください(自嘲


左寄りな教育を推進しているらしい(ほんとかどうか知らんが)日教組系教師をバッシングするような動きが起きているようで、安倍首相や山谷えり子さんが教育再生とか言っているのもその活動の一環ではないかと思われるが。
私はその昔、諸事情あって障がい児教育の現場近くにいたことがある。
そこで日教組系と思われる教師を何人も見かけている。重度の障がい児の教育方法や介助の仕方、親のサポートなどなど、とても熱心に研究・対応なさっている方々が多くいらっしゃいましたよ。政治的なことについて話をしたことはないので、そのへんはどういう考えの持ち主かは知らないけれど、人として立派な心ばえのひとが多いなあという印象を受けました。例外もいらっしゃったが。


そういえば、未婚者の増加やモンスターな親(=私の同世代)の話題が出ると、必ずと言っていいほど「個性を伸ばし自由を尊重する戦後の教育、団塊世代の教育が問題だった」みたいな指摘をする人が現れるんだが、肌感覚ではその指摘、ぜんぜん納得できない。


私が中学生だった頃は、上の世代の一部の生徒が校内暴力で散々暴れまわってくれた反動で、教師による締め付けがものすごく厳しくなっていた。
管理教育というやつですね。
なんじゃこりゃ、と言いたくなるような妙な校則が全国各地で続々と作られたのも、この頃じゃなかったかと記憶している。


偏差値重視・受験のためのお勉強がメインで5教科以外はおまけ扱い、そして内申書を武器に教師が絶対君主となり生徒たちを支配していた、てかんじ。団塊世代教師って、この当時まさに中堅どころの教師として教鞭をとっていたんじゃないだろうか。


その後増えたのが「いじめ」。校内暴力の時代には教師に向けられていた攻撃性が、管理教育のおかげさまで同じクラスの弱い立場の子に向けられるようになったんじゃないかと思う。
高校ではどうだったかというと、「高校の3年間は大学受験のためにあるんだ、この高校に合格したからといって気を抜くな」と入学早々に言われたな。教頭先生に。


やはり、どう考えても「自由を尊重し、個性を伸ばすような教育」なんて、していただいた経験がございませんな。


余談だが、管理教育がもっともひどかったのは愛知県だ、という指摘を、昔、教育関係の書籍で見た覚えがある。
愛知県豊田市は、トヨタ自動車の本社があるところ。ちなみに、豊田市にあるから「トヨタ自動車」という社名になったのではなく、その逆。トヨタ自動車にちなんで市の名称を豊田にしたそうで。地元に対し、そのくらいすごい影響力を持っている企業だということでしょうか。
で、トヨタが自社のためになる労働者をほしがり、自社の労務管理を教育現場にも反映させた結果生まれたのが愛知県の管理教育だ、てな内容だったと思う。大昔に読んだ本なので、かなりうろ覚えです。書名も忘れました。すみません。


トヨタに限らず。
戦後の教育方針に影響を与えてきたのは左派の活躍ではなく、大企業の人事じゃないかと思う。
受験の低年齢化と家計に占める教育費の割合増加も、企業が学歴重視で新卒採用を行ってきた影響じゃないのか?
だがしかし、大企業様を敵に回すような発言は、議員もマスコミも言えないだろう。議員にとっては貴重な金づる(ではないかと推測)、マスコミにとってはとっても大事な広告主様だ。よって、国民のモラル低下だの非婚者の増加だのの要因が大企業の雇用にあるというような指摘は、マスメディアではあまり見かけない。
一方で、個人は叩きやすい。金がらみのしがらみがない。
そのため、たいていの問題は原因が国民に、その国民を育てた親や教育者にあることにされがち。


話題をちょっと戻して。
今は、諸事情あって療養病院に行くことが時々ある。
そこで高齢者の介護の実情を垣間見ると、人間が“生きる”というのはどういうことなのかなあと、つい考え込んでしまう。
生命反応さえあれば“生きている”、でいいのかなー、と。


昔だったらまず助からないだろうという危険な状態でも、医療の高度化のおかげさまで現在は救命が可能になったことが多いと思う。
一方で、なんとか命を救ってもその後自力での生活はできなくなるだろう、ということが明白な状態であっても医師は問答無用で救命する。
で、助けられた患者はその後、医療や介護など、他者のサポート必須な状態で生き続ける。


人によっては、それでも生きていたいと思うだろうが、そんな状態になってまで生き延びたくないと思う人もいるだろう。
しかし、意識のない状態で救急車で担ぎ込まれたら最後、「そんな状態になってまで生き延びたくない」という選択は不可能なんだよな。
意識があってそう主張したとしても、医師は聞く耳持たずに問答無用で救命するだろう。
「そんな状態になってまで生き」なくてはならない理由って、なんなんだろうな。
だが、だからといって、他者のサポートなしでは生き続けられない人は殺していい、というような考え方はあまりにも人権無視な危険思想なのも事実だ。


てなことを私がだらだらと考えている一方で、与党は療養病院の病床を減らして営利な医療法人が老健や特養、有料老人ホームを複数設置できるようにしていたりするらしい。
与党議員は全員、1年間くらい要介護な高齢者と共に暮らして介護を実体験してみればいいと思う。
その間の生活費やヘルパーへの支払い、医療費等は、高齢者夫婦に支払われる年金(妻は専業主婦、全期間国民年金という前提で額を算出)でやりくりしてほしい。なお、すまいは民間の賃貸という前提で。


と。


以上のようなことを、昨日、テレビでやっていた「明日の記憶」を観ながら考えていました。
色々なことを思い出して欝な気分です。


昔、リアルで目撃しました。「明日の記憶」の主人公みたいな状況に陥った人。
病名までは聞いてないので、若年性アルツハイマーだったのか、他の病気だったのか、定かではありませんが。
病気になったらしい、という話をきいてから半年後くらいに見かけたときは、「明日の記憶」のラストシーンに出てきた主人公以上にひどい状態になっていて、びっくりした。
超難関な有名校に入学した秀才でした。卒業後は大手企業に楽勝入社できただろうにな。卒業どころか、その前にお亡くなりになってしまった。
誰だって、思いもよらぬ事故や病気がもとで、ある日急に健常者ではなくなることもある、ということを、認識していない人が多すぎな気がする。


正直な感想を言うと、「明日の記憶」の奥さんは、常時そばにいて介護しなくてもいい状態のようでしたので、かなり恵まれている環境ではないかと感じた。
あーでも後半は、けっこうつらいかな。
でも、ケア施設?に、待機なしで入れたっぽいしな。
経済的な心配もあまりなさそうでしたし。ずいぶん豪華な施設に入所したよなー。うらやましいこと。

明日の記憶」を観て「なんて大変なんだろう。奥さん可愛そう」とか思っていた人には、今までさほどの苦労もせずに幸せに過ごせてこれてよかったですねと申し上げたい。


以上、所詮は一市民の浅慮です。
あまり真に受けないように。