著作者本人も正答できない試験問題って教育的にどうよ

問題集から長文が消える 著作権で引用できず

5月25日22時53分配信 産経新聞


 大学入試の過去問題集などで、国語の長文読解問題の一部が掲載されない異例の事態が起きている。評論などを執筆した作家から著作権の許諾が取れていないためだ。教育業界では「教育目的」という大義名分のもとで無許諾転載が慣例化していたが、著作権保護意識の高まりから、大手予備校や出版社などが相次いで提訴されており、引用を自粛する傾向も目立ち始めている。(小田博士)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080525-00000960-san-soci
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080525/edc0805252155001-n1.htm


結論から先に書くと、問題なのは無許諾転載じゃなくて「著作人格権の侵害の慣例化」じゃないかと思われる。
産経は取材不足じゃないか?肝心なことを書き漏らしてないか?という印象を受けたな。
この記事の書き方では、守銭奴な著作者たちが教育なんて関係ねえといわんばかりに権利権利とわめいていると思われかねない。
まあ、中には金目当てで文句を言っている著作者もいるかもしれませんが。


考慮すべきなのは、問題を作っているのが著作者じゃない上に、著作者に相談もなく問題・解答が作られる場合があるらしい、という点だろう。


今はどうか知らないが、私が十数年前に学習参考書や問題集などを手がけている編プロの人から聞いた話では。
教材や試験問題に誰かの著作物を使用しても、使用料云々以前に使用したこと自体もその作品の著作者に連絡しない(事前でも事後でも)という出版社や教育関係者が多いのだとか。


つまり、著作者に相談なく、著作者以外の人が勝手に問題を作って、著作者以外の人が勝手にどれかひとつの解釈を「正解」とし、それ以外の解釈を「間違い」と決め付け、さらに教師・講師が児童・生徒にそれが正しいと教えている恐れがあるわけだ。
そして、場合によっては、著作者の意図とはまったく違うものが「正解」とされかねない
これだと、著作人格権の侵害にあたる恐れがあるだろう。


ブログやっている人なら、自分の身に置き換えて考えてみるといいんじゃないかと思う。

ブログの掲載内容を無断使用されて印刷されたり出版されたりしてあちこちばら撒かれ、その上「この部分について、著者はどう考えているか要約せよ」みたいな設問を勝手に作られてて、自分の考えとはまったく違う考え方・解釈が正解、自分の考え方・解釈が不正解とされていて、それをもとに教育が行なわれている。
自分の著作物をもとにして自分の考え方・解釈が不正解だと世に広められてるのに、自分には了承を求めるどころか著作物を使用したという連絡すらない

みたいな状況に陥ったら、どうだろう。
カネの問題を抜きにしても文句をつけたくなるのでは。
文句をつけても一向に改善されないという状況が何年も続いたら、著作権侵害を根拠にしてそのようなやり方を止めたくなるのでは。


話はそれるが、この記事を見ていろいろ思い出したことがあったので、ちょっとだらだらと覚書。


中島みゆきの「時刻表」という歌の中に、

誰が悪いのかを言い当てて どうすればいいかを書きたてて
評論家やカウンセラーは米を買う
迷える子羊は彼らほど賢い者はいないと思う
あとをついてさえ行けばなんとかなると思う
見えることとそれができることは 別ものだよと米を買う

というくだりがあるのだが。


これを私は

「米を買う=生計を立てる=その人の生き方を表現している」

と解釈していた。


しかし、誰だったか忘れたが評論家?の人がどっかの雑誌だか本だかで、この部分を

「評論家やカウンセラーはどの米がいいと言い、どの米を買えばいいかと書きたてる、しかし庶民はそうと分かっていたって安い米を買わざるを得ないんだ」

というかんじだったかな(かなりうろ覚えですみません)、そんな解釈を披露していたのでびっくりした。この部分は米談義だったのかい、と。


同じく中島みゆきの「あたいの夏休み」という歌の中に、

悲しいのはカレーばかり続くこと

というくだりがありまして。


この部分を私は、

「カレーというものは一人分だけ作るというのが難しいメニューなので、一人暮らしの人がカレーを作ると何日も食べ続けるはめになる → 独り身の悲しさを嘆いている」

と解釈していたんだが。


某TV局の高視聴率クイズ番組でこの歌詞が問題として取り上げられたんだが、その時の設問が、

「歌の主人公は、夏休みの旅行の旅費を捻出するため・生活費を切り詰めるために、ある料理を作りだめして食べている。その料理はなにか」

というようなものだったので、これまたびっくりした。
節約の苦労&悲哀を語っていたのか、この部分は、と。
まあ確かに、庶民の安上がりメニューの代表的なものかもしれないけどさ、カレーは。


この番組が放映されてから何日か後だったかに、中島みゆきさんのラジオ番組宛にこの件を報告したリスナーがいまして。みゆきさん本人はどうやら、自分の歌がクイズの問題に使われたことを知らなかったもよう。
そして上述の設問内容を知った時、みゆきさんは一瞬絶句したっぽかった。
その後、歌は発表された時点で聴く人のもの、どう解釈しようと人それぞれ、どれがあっていてどれが間違いということはない、ってなかんじのことを苦笑気味におっしゃっていました、たしか。


と、ここまで書いた上で念のため歌詞の確認をしてみようか、と思いググって見たら、某ページ(のキャッシュ)では

悲しいのはわかればかり続くこと

とある……。
「カレー」じゃなくて「別れ」だったのか!? いや、カレーのはずだ! 確かに「カレーばかり」と歌っている! はず! なんだが…、「別れ」のほうがみゆきさんっぽいかも…。
なんか記憶力に自信がなくなってきましたよ orz


カレー話はさておき。


歌詞の解釈ならともかく、教育現場で使われるものや試験の問題となると、「どう解釈しようと人それぞれ」とはいかなくなるわけで。
なんかひとつの解釈が正答・それ以外は間違い、となってしまう。そうせざるを得ない面がある。
で、誰が正答を決めるかという点が問題で。前述の通り、教育業界が、著作者に無断で「正しい解釈」「正しい答え」を決めてしまう、という横着なことをしている疑いがある。


もう十何年も前に読んだ雑誌なので、ソースは明確に覚えてないんだが。
知らないうちに自分の作品を試験問題に使われた作家さんが、知り合いから「こんなとこで先生の作品が使われてますよ」と教えてもらい、その問題を解いてみようとしたら正解がまるで分からなかった、解答を見てみたら「え!? なんだこれは!?」と驚くような予期せぬ解釈が正解とされていた。
という体験談を、教育関係雑誌だったか文学系の雑誌だったか?とにかくなんかマイナーな雑誌での対談で(だったかな?激しくうろ覚えですみません)その作家さんが披露していた。そのときの論旨は、「カネ払わずに勝手に使うな!」ではなく、「著作者に相談もせず勝手に正答を決めるな!」という点だった、たしか。


そりゃなあ。


著作者本人も正答できない設問って、教育的にもどうよ


そんな問題を突きつけたら、受験生も迷惑だろうよ。


こういう事情があるならば、そりゃ著作者側も、「教育のためといえども無断で作品を使用するな」とクレームをつけたくなるでしょうよ。


とまあ、こういうような記事を読んだ記憶・伝聞の記憶があったので、この件については著作者団体側を応援したい気分になった。
使用料のことはさておき、背後で著作人格権の問題が起きていそうな気がする。


教育に使用するものならなおさら、著作物を使用するにあたっては事前にきちんと許諾をとった上で、さらに設問と解答のチェックも著作者にさせるべきじゃないだろうか。これは大人のマナーじゃないかね。
しかし、そんなお問い合わせをいちいちやっていたら時間がかかってしょうがないからやらない(→無断で使用、許諾もとらず使用の連絡もせず)、というのが出版や教育関係者の本音じゃないかと思われる。
でもそれでは、職務怠慢を「教育のため」という大義名分で正当化しているだけにすぎないだろう。


上記記事中に、

これに対し、大手予備校の担当者からは「近年は厳密に対処して使用料も払っている。引用を認めてくれない作家が増えれば、授業は成立しなくなる。不利益を被るのは受験生だ」と憂慮する声もある。

というくだりがあるが、受験生に不利益を被らせているのは「引用を認めてくれない作家」ではなく、「横着な設問・解答の作り方をしている人々」ではないのか?という気がしてならなかった。


以上、なんか「教育のために使用されるものなのにお金を要求するなんて!」みたいな解釈をしている人が多いようだったので、ちょっと書いてみた。


それ以前に、国語の長文問題では、何を正解とするか定義すること自体が難しい気もするな。
激しく余談だが、やはり私は、「時刻表」は米の歌だとは思えないし、「あたいの夏休み」の女は節約のためにカレーを食っているのが悲しいのだとも思えない。


ついでに書いておきますが、上記記事中の

曽我陽三理事長は「教育業界は著作権に無頓着過ぎる。きちんと権利処理せずに経費を抑えるのは言語道断」と主張する。

この部分。
知り合いの司書も、教育関係者(公立校の先生)が著作権について無頓着すぎて困る、とこぼしていた。
「教育のため」という錦の御旗のもと、公立図書館に対し著作権法違反としか言いようのないモンスターくさい要求をし、いくら法を説明しても納得してくれないのだとか。
法令を順守しようとしないその姿勢、教育者としてまずいだろうにな。


ネット規制・フィルタリングや児童ポルノの件もそうだが、「教育のため」「子供のため」という大義名分があれば何やってもヨシ!明確な因果関係や根拠がなくてもOK!みたいな風潮が、このところ強すぎる気がする。
そういう姿勢・手法を子供に見せることのほうが、よほど教育的によろしくないんじゃないですかねー。
と、個人的には思う。

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以上の長文エントリについて、著者の言わんとするところは何か、次の中から正しいものをひとつ選びなさい。

  1. やっぱり中島みゆきは偉大だね。
  2. 受験生のためなら何でも大目に見てもらえる/見てやるべきだって思ってるのかよ教育業界。「俗・絶望先生」のネタじゃあるまいし…。
  3. 教育のためだというならなおさら、著作権およびその隣接権は尊重されるべきだ。
  4. 産経ってどうよ。
  5. とかいいつつ、権利権利って小うるさいよね著作者たち。