学校での成績と頭のよさ


学校に行ってたころ、つまり小中高大学に通ってたころ
成績が良かったとしても


社会人になってからうまくやっていけないってこと
ありますわな。


生きていくための知恵と
お勉強ができる知恵は
別物ですね。


結局は、うまく人と付き合えるかどうか
能力だの素質だの以前に


すべてそこにかかってくるのだと
痛感する今日この頃。


思うに、人との付き合いかたって
まずは親子関係から学び、
続いてお友達関係から学ぶんでしょうが。


親が人付き合いの点で難がある人だと
学び損ねてしまうんだろうと。


そんな親の子供として生まれてしまったのは
運が悪かったとしか言いようがないんですが。


「30までは親からもらった顔、30過ぎたら自分の顔」
ってな言葉があったと思います。
確か、その人の性格やら人生観やらといった内面の要素が
顔に表れだすのが30過ぎから、ってな意味だったと。


大人になっても
「親が○○だったから自分はこんななんだ」
てなことを言ってる人に対して、
世間一般の人は
「大人なんだからいつまでも他人のせいにするな」
てなことを言うのも、同様の理屈から来るものだと。
大人になったら、自分でなんとかせい、てことでしょうね。
その主張と根拠は理解できます。


しかし、思うに。
人との付き合い方について親から学び損ねている人間は
そのぶん、年齢が止まってる、もしくは遅くなってる
ようなもんではないかと。


親とうまくやれなかった人は、
親元から離れて自活し始めたときから
やっと成長し始めるんじゃないですかね。


こころにゆとりがないと、人付き合いってうまくできませんね。
しかし、成人するまで心にゆとりを持つことができないっつー
環境に縛られてたもんですから、
たとえるなら精神的骨粗しょう症ってかんじ?
精神面での基礎工事に欠陥ありってかんじ?


それなのに、年齢的には大人なもんですから、
欠陥ありありの基礎の上に
「一般的な言動」という家を建てなきゃならなくて


だから時々崩れちゃってたいへんなんですな。


しかし、大人だと「一人前で当たり前」とみなされるので
同情されませんな。


ついでに。
私も他人事だったら同情しませんな。確かに。


幸せなお家で育った人は
人から好感を持たれる言動をごく普通にするわけで
その結果、幸せな人生を呼びよせるわけで
そうじゃなかった人は
ついつい人の幸せをねたんだり恨み言いったり
苦しさのあまり八つ当たりして嫌われたりして
ますます不幸になるという


不幸のスパイラルです。


ならば人から好感を持たれる言動を心がければいい、と
普通なら思うとこでしょうが
それはかなりむずかしい。
すでに借金ある人にローン組んで家を買え、て要求するようなもんで。
ない袖は振れない、て状態。


人から思いやられた経験が少ない人は
人を思いやる余裕がないですよ。