ジェンダー反論について


例の質問とは関係なく、
個人的な興味から、もちょっと
ジェンダーフリーについて
調べてみようかと思っている今日この頃。


先日、友人と映画を観に銀座へ行ったのですが、
有楽町駅から銀座三越方面へ向かう途中、
ちょうどマリオンの横あたりですね、
そこに一台の街宣車が停まっていました。
その街宣車、以下のような垂れ幕を
出していまして。


「日本を崩壊させる
 『男女共同参画条例』
 (ジェンダーフリー
 にだまされるな」


実は私、これまで、
ジェンダーフリーとか
男女共同参画条例に
さほど興味を持っていなかったのですが、
たまたま細木数子さん質問のからみで
ジェンダーフリーについてもちょいと調べた
直後だったので、
なんで極右(街宣車を出す人は極右と勝手に思ってます)が
ジェンダーフリーについて言及しているんだ?
と、不思議に思いまして。


で、今度は右翼的傾向と見られるページを中心に
ジェンダーフリーについて調べてみたり
上記街宣車の車体に書いてあった政治団体のHP
(やっぱり極右っぽかったです)に
行ってみたりしたのですが。


その結果。
例の質問者さん、もしかして右翼な政治団体の人?
という新たな疑惑が私の中に生まれちゃうくらい、
例の質問者さんと似通った主義主張を
見る羽目になりました。


ところで、
私は別にフェミニストでも
ジェンダー論者でもないです。
特に政治的な主義主張もないです。
と、右翼よけのために書いておこう。


で、ジェンダーフリーに対する反論について書かれている
某ニュースサイトの記事(無料公開部分のみ)を
いま見てきたのですが、
どう読んでも、
極端なフェミニズムにかぶれた電波奥さんや
しょうもねえ教師の行動やらを論拠にして
ジェンダーフリー自体を否定している、
かなり飛躍しすぎな論調じゃないかなーと
感じられてしまいました。
が、無料公開部分しか読んでないので、
なんとも断言できません。
今、金払ってでも読むべきかどうか思案中。


男女共同企画条例については
まだ、大雑把に斜め読みしかしてないんですが、
基本概念は

性別による固定的な役割分担等にとらわれず、
男女が様々な活動を主体的に選択できるよう、
社会の制度や慣行に配慮すること

てことと、現時点で解釈してます。
で、これは、
昔ながらの固定的な概念にとらわれずに
主体的な選択が「できるように」する、
ということであって、
昔ながらの固定的な概念にあてはまるようなことを
「してはならない」
という意味ではないですよね。
なんかこれを、
「男らしさ、女らしさ」を否定する条例、と
解釈している人がいるんでしょうかね。
運用面でなんか問題がでているのでしょうかね。


ま、もうちょっと詳しく調べてみないと
なんとも言うべきじゃないなと感じたので、
いったん保留。
今日は覚書ってことで、
時間があるときにもう少し調べてみようかと。


ただ、
昨日の日記でも書きましたとおり、
男性だから、とか、女性だからという理由により
行動などを『制限されることがない』、という
自由な環境のもとで、
「個人的な人生観や主義主張」として
「男らしさ」とか「女らしさ」を追求する自由も
保障されるべき、というのが
現時点での個人的な見解です。
「男らしさ」とか「女らしさ」を
追求「してはならない」となると
それは個人の自由や権利を侵害する行為、
と感じます。
だから、
別に女性が家で家事育児に専念してても
何が問題なんだか、
フェミ(極フェミ?)な人の主張が
よく理解できないというか。
そういう幸せの形を追求する個人の権利を
侵害しちゃならんでしょう、と感じます。
そもそも、どういうライフスタイルをとるかは
そのご夫婦が決めるべき問題であって、
他人が「こうするべきだ!」て
口出しする問題じゃないんじゃないかと。
ま、このへんも覚書ってことで、
これも、時間があるときにもう少し調べてみようかと。
気が向いたらね。


なお、家事育児に専念している女性は、
自分が「女性だから」そうしている、という考え方ではなく、
「自分がそうしたいから」そうしているんだ、
自分の女性的な個性を活かした生き方を選んだんだ、
という考え方をしてほしいもんだとも
思っています。
誇り高く家事育児に専念してほしいな、という意味でね。
さらに、他の女性もそうするべきだ、とか
言い出さないでくれると、もっとありがたいですね(笑)